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【自己紹介】飽き性でADHDかもしれない40代主婦が自分にあった働き方を見つける

はじめまして!

本日はWebサイトにお越しいただき、ありがとうございます!
私は飽き性でなにをやっても続かないアラフォー主婦のみとんと申します。

突然ですがこんなお悩みありませんか?

何をやっても続かない
すぐ諦める
転職が多い
スキルが中途半端
新しいことにすぐ目がいく

これ実はすべて私のことなんです。

私はとっても飽き性で、興味があるとすぐに飛びつきますが長続きしません。

ある程度覚えると満足して飽きてしまうか、嫌なことがあると自分のなかで理由をつけて逃げ出し長続きしないのです。

結果転職を繰り返してきました。
なんて自分はだめな人間なんだと悩みに悩んで色々検索してみたところ、どうやら限りなくADHDの特性があるのではないかと判明。

現在は事務職のパートをしています。
とても働きやすい職場ですが、昇給の見込みもないうえに作業のような誰にでもできるような仕事をしています。
高卒で40代スキルなしでは転職ができるはずもありません。

このまま自分に価値がない働き方で一生を終えたくない。
ADHDの特性を活かした仕事で月収を上げたい。

そこでこんな目標をたてました。

「1年後に在宅ワークで月収30万円を安定的に稼いで新しいキャリアを積んでいきたい」と。

ただただ興味の赴くままに、やりたいことだけやってきた人生。

今まで本当に計画性なく、ポンコツすぎて自分でも呆れてしまいますがよかったら私の自己紹介記事を御覧ください。

忘れ物と遅刻魔の学生時代

とても厳しい父とのんびり屋な母との間に生まれました。

そして3つ上の兄がいます。

父は亭主関白で自分の意見や考えが正しいと思っている頑固親父で、とにかく怖かったです。
母は基本的に優しいですが、今思うとADHDの特性があり、忘れっぽかったり、うっかりミスが多い人でした。

そして私も小学生ころからADHDの特性が出ていて、さらに3月生まれだったこともあってか、人よりできることが遅れていて「ついていけない」また、ADHDの特性ゆえに学校生活にストレスを感じて生活していました。

 

小学生の頃のADHDらしいエピソードを紹介します。
私は忘れ物が多いことでしょっちゅう先生に怒られていました。

今の教育だったら絶対考えられないけど、当時の私の通っていた小学校では忘れ物をすると先生からげんこつをされたり、忘れ物を家に取りに行かされたりしていて、私はその常連だったため、今でも同窓会で語り継がれる伝説となっています。

先生にげんこつされても唯一泣かなかった女子。。。

 

そしてもうひとつが遅刻です。
不登校ではなく遅刻。

朝起きれないのもありましたが、朝の支度の時間配分がわからず毎日のように登校時に走ってギリギリ駆け込みセーフ。

またある時は、通信簿に「落ち着きがない、先生の話をよく聞くようにしましょう」と書かれていて父に怒られたこともありました。

私って落ち着き無いの?自分では全く自覚がありませんでした。

あとは夏休みの宿題は前日に焦ってやり、終わらなくて次の日先生に怒られる。

しかし怒られることが慣れっこになり、悪知恵も働くようになっていきました。
父も先生も厳しかったので、怖いから怒られたくなくて隠す、黙っておくなどずる賢くなっていったのです。

そうしたことから逃げグセが付いたんだと思います。

あ、、、一つだけ褒められたエピソードがあります。

家庭科や図工など自由に制作物を作ることがたびたびあり、先生に見せた時に「みとんはこういうのだけは得意なんだな〜!」と言われて嬉しかったことを覚えています。

中学生、高校生になってからもあいかわらず遅刻は多いし、勉強も不得意でした。

テストは前日に一夜漬け。
やりたくないことを後回しにしてしまいます。

いざやろうと思うと何故か机の上の片付けを始めてしまう。

 

時間の配分がわからない、後回しグセがある、多動で落ち着きがない
そんな子ども時代でした!

ダメ人間が変わるきっかけになったアパレル時代

高校を卒業後、東京の服飾の専門学校に行きたかったのですが金銭面で親に反対されたため、自分でお金を貯めて行くことにしました。
お金をためるために興味もない地元の印刷会社にとりあえず就職。

仕事への意識が低く、お金を稼ぐためだけに会社に行っていたので向上心がありませんでした。

そしてここでも遅刻癖は健在です。

しかし人に恵まれ先輩からは可愛がられていたため、そこまで怒られることはありませんでした。

そうこうしているうちに、友達は着々と準備を進め有言実行し、見事東京に行くことになりました。

私はコツコツ貯金はしていたものの、高校に願書を取りに行くなど手続きが面倒、揃えるものもわからないので東京の専門学校は諦めてアパレルの販売員を目指すことにしました。

面倒くさいことからの逃げですね。

自己肯定感の低い私は、おしゃれな服屋さんで働きたいけど自分に自信もなく、受ける勇気がありません。

販売経験者じゃないと雇ってくれないことも多く、まずは販売経験を積むことにしました。

靴屋さんでのアルバイトが決まったので接客の仕方を学びつつ憧れのセレクトショップに足しげく通って仲良くなり見事そのセレクトショップで働けることになりました。

そしてここで勤めたことが私の1回目のターニングポイントとなりました。

私は系列店と行き来したヘルプ要因として採用されました。

同期が大勢いましたが、みんなおしゃれでやる気が合って優秀です。

同期と一緒に仕事の説明を受けていたときのことです、たまにしかヘルプに入らない私は仕事の背景などもわからないので先輩の説明がまったく理解できず焦った経験があります。

今考えたら、なんで聞かないの?と思いますが、その時は人に聞くこともできず。とにかく仕事ができない落ちこぼれでした。

しかし沢山いた同期は先輩が厳しすぎるあまり次々と辞めていき、当初より半分以下に減りました。

落ちこぼれながらも、厳しさに耐え残ったことは少し自信に繋がりました。

でもなんで遅刻魔で落ちこぼれだった私が厳しくても辞めなかったか。
それは単純に服や接客が好きだった、そしてなによりそのブランドが好きだったからでした。

好きなことに関しては頑張れるんだなと気づいたものの、接客以外への成長意識は低く出世はしませんでした。
でも先輩が厳しかったからか、自分でも気づかないうちに仕事をする上での基礎は、体にしみついていき、この頃からダメ人間が少しだけ矯正されていったように思います。

 

仕事を舐めきってた私が、厳しい環境飛び込んだことは自分を変えるきっかけになり本当に良かったと感じています。

ママとの出会いで独立に興味

私は計画的にお金を使うのが苦手なうえに、衝動的に欲しいものを買ってしまうところがあり、服を買いすぎてカードローン地獄に陥りました。

困り果て私は友達から紹介されたスナックで夜アルバイトをすることに。

 

でもそのスナックのママとの出会いは私にとって人生2回目のターニングポイントとなったのです。

アルバイトに慣れてきてすぐ週5日の出勤。

ママに信頼され、代わりに店開けをして開店準備、カラオケ業者や花屋さんへの連絡、お客さんのお会計や領収書作成、発注やビールサーバの洗浄などなど今考えるとバックオフィスさながらのサポート業務をしていました。

もちろんお客さんへの接客が主な仕事ですがお酒が弱い私は飲む専門ではなかったので他の子が飲み担当で私が裏方サポートをしていました。

ママは20代後半で独立して、シングルマザーなのに仕事も子育ても手を抜かずに完璧ににやってきた人です。ママを慕ってやってくるお客さんもみんないい人ばかり。

そしてママは働いている女の子のこともとても可愛がってくれました。
私はとても尊敬していましたし、いつか私も自分の好きな仕事で独立したいと経営にも興味を持ち始めていました。

最終的にはダブルワークで7年アルバイトさせてもらいました。この時にもっと
ママから経営について学んでいたら良かった!

仕事ができない名前だけの店長

スナックは続けつつ本業を転職して美容部員で店長をしていました。
コスメの経験も店長経験もないのに年齢だけで店長になった私。

店長経験がないので何をやったらいいのか不安でした。

わからないことは聞きなさいと言われたけど、何を聞けばいいのかもわからない。

前の店長からの引き継ぎもないし、店長としての研修もない。

お店も暇で閑古鳥。チラシ配り、お客さんがいない時に接客の練習、イベントの企画、お客様へDMを出す…とにかくできることはなんでもやってみました。
しかし売上が0の日もザラで、不安な毎日。
0の日は自分で買ったりもしていました。

自信のなさが出ている頼りない店長にスタッフはついてきません。
私以外のスタッフはみんな美容部員経験がある子。
正直私より経験があり、お店の回し方を知っています。

私は情けなかった。
でも店長を辞めるとも言えなかった。

なんとか努力の甲斐があり、少しずつ売り上げが上がってきました。
でもその矢先にそのコスメブランドは全店舗撤退。
スタッフ全員職を失うことになりました。

スタッフが残念がっているなか、私は心のどこかで少し安心していました。
この売り上げ地獄から抜け出せると。

今思うと商品の売り方、マーケティングについてをまるでわかっていませんでいた。

初めてのマネジメントと集客の壁にぶち当たったことは、苦しかったけど今後における良い経験でした。
考えて考えて、手当たり次第動いて頑張ったつもりだったけど空回りしていたなと思います。

上京しセラピストに〜結婚と出産

経験がないのに新しいことをやりたがる私。
次は癒やす仕事がしたいなと思い、セラピストになることを決意。
そしてアロマの勉強をし民間の資格を取得します。

しばらく地元のラクゼーションサロンに勤めていましたが、昔上京したかったのにできなかったことを思い出し、東京のサロンで働きたいなと考えるようになりました。
30代に突入していましたが、人生後悔したくないと思い上京。
やりたいと思ったら衝動的に動いてしまいます。

東京のアロマスクールで英国のセラピストの資格を取得し、さらに学びを深めるためにセミナーに参加したり海外でセラピストの研修をうけたりもしました。
その後、仲間の多くはとりあえず自分で始めてみると行動しています。

しかし私は学んでいる瞬間は「いつか独立するぞ」という気持ちがあるのに、いざとなると「まだ経験が浅いから」となにかと理由をつけて結局逃げに走ってしまうのです。
結局小さなサロンでアルバイトをすることに。

そしてここではさまざまなことで苦戦します。

1つはマルチタスクです。
小さなサロンなので、一人であれこれ業務をこなします。
接客から施術の間のスキマ時間に、電話で予約を承ったり、タオルの洗濯、次の予約の方の準備など、マルチタスクが苦手な私は無駄な動きが多く要領が悪かったです。

そして2つ目は集客です。
ビラ配りやキャンペーンの企画、ブログやSNS、色々挑戦しましたがうまくいかず、売上のことでオーナーからもチクチク言われます。

集客って難しい。
このときの私は愚痴ばかりで他責思考。

有名な某予約サイトを使ってないからじゃないの?
でも料金が高くて利用できない、どうすれば集客できるんだろう。。。

美容部員の時のように、マーケティングを知らない私は今回もまた大きな勘違いをしていました。

もがきながらも働いていましたが、その時お付き合いしていた方と結婚し妊娠を期に退職したのでした。

先のことを考えずに衝動的な行動をとっていて無計画さに呆れます。
しかし、このサロンでブログやSNSにふれたり、企画やチラシの作成などの経験は今につながってるなと感じます。
そして集客に関する興味関心も高まりました。

私ってADHDかもしれない

産後は思っていた以上に精神的にも体力的にも大変でした。
お金もかかるし、ママじゃない自分の居場所的なものがほしくて仕事をしたいと思っていました。

でも私が今まで働いてきた販売やセラピストなどのサービス業は勤務時間や体力的に無理だと感じ、オフィスワークをしようと決めました。
しかし40代、高卒、事務経験がなしではどこも雇ってくれるわけがありません。

それでもまずは自分を知るために、今までの業務内容や得意不得意など棚卸しをすることに。

その時に自分がマルチタスクが苦手なことや飽きっぽくて興味があることにすぐ飛びつくことなどに気づきます。
今まで意識してなかったけど悩むたびに過去に調べてきて、たびたび目にするようになったADHDの文字。

もしや私もそうかもしれないと思い、セルフチェックをしたところ、あてはまりました。 最近でこそADHDやASPなどよく耳にするようになりましたが、私が気づいた時はそこまで広まっていないない印象で、私は「発達障害」なんだ。。。とショックをうけ、その特性をバレないように職場でも友達にもバレないように必死に隠していました。
でも世の中に浸透するようになり、数々の名だたる起業家もADHDの方が多いと知り、これは自分の個性なんだと受け入れるようになりました。

自分の特性を活かす仕事

ただ、その特性を仕事でどう活かしていこう。

よく「クリエイティブな仕事が合っています。」と書かれていることが多いのですが、40代のわたしが未経験でクリエイティブな業種への転職は難しい。

まずは副業から始めてゆくゆくはフリーランスになれるクリエイティブスキルはないかとネットやSNSで検索の日々。
子どもとの時間もほしいし、在宅で働きたいと思うようになりました。

そこでスキルを身につければ高収入が見込めるプログラミングに惹かれオンラインスクールに入会してましたが挫折。
デザインの方が興味があったためWEBデザインを独学で学んでみたりしましたが、コツコツできるタイプではなく、またもや挫折。

一旦在宅ワークから離れて考え直すことに。

セラピストの経験も子育ての経験も活かせて興味もあったベビーマッサージ教室を始めることにしました。

ワクワクしながらベビーマッサージ講師になるためにスクールに通いはじめ資格を取得。

教室をひらくまでにWordPressでHPを作成したり、レンタルスペースの契約、チラシ作成、Instagramの開設、など準備を着々と進めていきます。

いざオープンしてみたけど予約が入らない…レンタルスペースに貼ってあるチラシを見て予約してくれる人もいましたが、0組も多かったです。

それもそのはず、私は集客活動をしていませんでした。
HPだけで満足していた私は、Instagramに力を入れることにしました。

「#インスタ集客」で検索したときに、元保育士で旅ぐらしをしながらInstagramの運用を発信しているアカウントを見つけ即フォロー。

投稿を参考にしていくうちに、もっと学びたいと思いという気持ちになり、その方が運営しているスクールの説明を聞くことに。

そこで「物を売るときにはマーケティングのスキルが必要」だと気づきます。
そして今までアパレル時代からベビーマッサージ講師までさまざま集客に悩んでいた過去と点と点がつながりました。

しかし、私はこれまで興味が出るとすぐに飛びつき何も成し遂げられず大金ばかりを払ってきました。

今回は大丈夫か?
そんなことを頭によぎり躊躇しましたが、「行動しなければ何もはじまらない。」「現状維持は嫌だ!」と思い入会。

その後、ベビーマッサージの活動はいったん終了し、
本業と並行しながら、WEBマーケティングを学び始めました。

これからの私

まだまだ道の途中ですが、
今の私は、やっと“自分らしく働くための道”を歩き始めたところです。

ポンコツでかなり遠回りをしてきた私ですが、今までの経験が今につながっていると感じています。

私の目標は、
「WEBマーケティングを学んで、在宅ワークで月収30万円を達成すること」です。

ADHDにもいろんな特性があるけれど、自分に合った働き方はきっとあります。
40代高卒スキルなしでも今から始めるのは遅くない!

このブログでは、私自身の成長の過程をリアルに発信していきます。

今このブログを見ているということは、きっとあなたも「変わりたい」と思っている証拠。
そんなあなたにとって、少しでもヒントや勇気を届けられたら嬉しいです。

これからの挑戦を、ぜひ一緒に見守っていてくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!